北海道を自転車で

2005/4/29
広い広い北海道を自転車で、自分のちからで走ると自分のちっぽけさに気がつく。どこまで行っても地平線が広がるばかりで近づかない。一番長距離を走ったのは稚内から網走までで、約400km。オホーツク海沿いに天北線、幸浜線、名寄本線、湧網線にそって走った。どこも廃線だがところどころに鉄道構造物が残っていたのでたのしかった。
左にオホーツク海を見ながら地平線へ向かってひたすらクランクをまわす。見渡す限り、コンビニも民家もガソリンスタンドもなにもない。頼れるのは自分と自分で組み立て、調整をした自転車だけだ。夏のオホーツク海と緑の大地、青い空との境目を走る。夜はキャンプや野宿。自転車に積んできたこんろとなべで米を炊き、レトルトカレーを温めて食べる。銀マットに寝袋、星空の寝床。あっという間に寝る。
もう隅々まで調整し、いじりつくした愛車。調子が悪くてもどこが悪いかはすぐわかる。修理もばっちりだ。自分の調整はすこぶる順調、心地よい走行音とともにひたすら地平線を目指す。
しかし走っても走っても変わらない景色、広い大地。走りながらいろいろなことを考えた。いま走っているこの広い北海道も地球のほんの一部であり、その地球も太陽系のほんのかけらにすぎない。その太陽系だって銀河系の屑みたいな一部だ。太陽系の所属するアンドロメダ銀河、ほかに同じくらいの大きさの銀河が2000億個あるという。その外側にもまだなにかあるのかもしれない。考えていくと宇宙のひろさ、人間のちっぽけさってものが実感できた。
今回はあえて数字で表さなかったが、宇宙の広さは桁外れだ。すごい広さだ。その宇宙の構成要素である個としての自分って何なんだろうと思う。
それを考えると新聞を賑わすような社会での喧騒や国際問題、本人たちは必死なんだろうが、宇宙から見ればどれもこれもちっぽけなものでなに馬鹿やってんだかって気になってくる。もっと広く視野を持って、謙虚な気持ちで。少なくとも自分はそう生きようと心に誓った。
この地球の上でさまざまなできごとが起こっている。それこそ星の数より多いだろう。人間って、生き物っておもしろいなと思う。だからこそこの宇宙で人間以外に生命体がいないなんて思えない。きっとどこかにいる。そう信じてる。
人間は見えないものを「ないもの」とする悪い、でも仕方ない癖を持っている。でも、見えないものを見ようと工夫し、努力すること、困難という壁の向こうを見ようと背伸びすること、すばらしいことじゃないか。どんなに高い壁があっても乗り越えようと努力する、乗り越えられると信じ、自分の力を信じる。この心を忘れずに生きたいと思う。
たとえ壁の向こうにさらに高い壁があっても、たとえ何もなくてもいいではないか。高い壁があればさらに超えようとすればいいし、何もなくても、「何もない」ということがわかるだけでそれで収穫だ。もしかしたら何かがあるのに見えないだけかもしれない。角度を変えてみてみたり、触ってみたり。やれることは無限大だ。壁を越えた価値はあると思う。
そして、夜に登った函館山。日本一の夜景といわれるだけあって息を呑む美しさだった。ちょうど火星大接近の頃だったので、空には月と火星が見え、こっちも負けずに美しい。しかし地上の灯はみんな人間がつくったものだ。たかが明かりなのだが、小さいものが集まってこんな美しく、人を感動させることができるものを生んだ。
これを見ると、人間も捨てたものではないなと思える。小さな力でも集まれば大きな力を生むと思う。みんなひとりひとり、ひとつひとつが違った役割を、各々の特長を発揮して、ひとつのものが生まれるのだと思う。
この夜景を直接的に生み出している電気。すばらしいものだ。突然だが、物理学的に「力」は基本的に3つだ。電気力、万有引力、あとひとつなんだっけ…磁力でいいんだっけ?。この中でいちばん大きな力を持つ電気。これを利用して生まれた、利用するために生まれたたくさんのもの。ほんとうにすごいと思う。電気を志すものとして、誇りに思う。「がんばろう」って思った。
そしてこの景色を見て感動することのできた僕の心。この心は僕が周りにいるみんなとともに創ってきたものだ。感動できた自分に誇りを持つとともに、親、友達を筆頭にこれまで僕とふれあいを持ったすべての人、ものごとに感謝しようと思った。
心が洗われるような北海道の大地。また自転車で、自分の脚で行こうと思う。

2005/4/28の日記より加筆修正。

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